mlktの日記

日々の雑記。思ったこと、考えたことの記録

自分の人生の主人公を自分にするということ

 

TBS Podcastの「となりの雑談」という番組にハマっている。「雑談の人」桜林直子さんの自分が人生の主人公になれない、というような話を聴いて自分にもよく似た部分、心当たりがあるなあと思ったので書いてみる。

 

自分は二人きょうだいの上の子として生まれた。下とはかなり歳が離れており、自分が小学生の時に向こうはまだ生まれたばかり、というような具合だったので喧嘩もできなかった。

物心ついた自分より、母はまだ小さく、自分では何もできない弟の世話に追われた。

父は仕事が忙しく、ほとんど家にはいなかった。

今まで祖父母も両親も、みんなが自分を一番に可愛がってくれていたのに、自分が独り占めしていたのに、突如として彼らからの愛情を分かち合わなければいけない相手が出現した。

自分は困惑した。そんな相手を求めたことは一度もない。きょうだいがいなくて寂しいと思ったことなんか一度もない。ずっと一人っ子のように生きてきたのだから。それなのに、突然弟が現れて、自分は上の子にさせられて、母を奪われて、その弟の面倒まで見させられて、一体なんなんだ。好きで上の子になったんじゃない。

 

自分は弟を憎んだ。母に構って欲しかった。

 

小学校低学年の頃突然現れた赤ん坊に、母を奪われた気分だった。

 

母にバレないように意地悪なこともたくさんした。母を奪われた寂しさ、悲しさ、怒りを弟にぶつけた。

 

それでももう、母が自分だけを見てくれることはなかった。いつも母の側には弟がいて、自分は週末ごとに祖父母の家に預けられることが多くなった。祖父母の家に行けば、自分だけを可愛がってくれたし、祖父母は自分が来たことを喜んでくれた。自分が来れば祖父母は喜ぶ。好きなものも買ってもらえる。嫌いな弟とも離れられる。母もそうするように背中を押した。自分は積極的に祖父母の家へ行くようになった。

 

ほかの子が親とするように、一緒にショッピングモールに出かけたり、服を選んでもらったり、テーマパークに出かけたりすることはなかった。祖父母は歳を取っていたし、体力的にテーマパークには行けなかった。

自分はひたすら祖父母の家で、買ってもらったゲームをし、絵を描いて遊んだ。

弟はまだ小さかったし、母にベッタリな子供だったので、自分のように祖父母の家に泊まりで来ることはほとんどなかった。

 

 

 

母は朝に弱い人だった。早起きしようもんなら朝から不機嫌で、土日は昼過ぎにならないと起きてこなかった。

祖父母の家に行かない土日は、13時すぎにならないと朝ごはんが食べられなかった。小学生で早起きする習慣がついていた自分と、朝型だった父は、昼過ぎまでその辺にある菓子を食べたりして、なんとか食いつないだ。

いっそこと自分たちで朝食を作ればよかったのではとも思うが、母は冷蔵庫の中の食材を勝手に使われることを嫌う人だったし、朝食の準備をすればその音を聞きつけた母が怒り狂いながら起きてくるので、父と二人、息を潜めながら食べてもバレなそうな菓子や、シリアルやパンを探し出して食べるしかなかった。

 

夏休みなんかはもっとひどかった。夏休みの平日の朝、父はいない。朝早く目が覚めても、不機嫌になるので母を起こすわけにはいかない。それでもお腹は空いていて、一人で空腹をなんとかするしかなかった。

家にある市販の菓子は、勝手に開けたら怒られた。買い置きしてある菓子パンなどもそうだった。中途半端に開いているものや、賞味期限が切れたものなら安心して食べられた。開いていれば多少食べてもバレないし、期限切れのものは期限が切れてたからいいじゃんと言い張れる。

 

反対に祖父母は早起きな人で、祖父母の家に行けば起きる頃には必ず朝食が用意されていた。朝食が用意されていること、朝から不機嫌に怯えなくてもいいこと。祖父母の家に行く理由として、これら二つのことは大きかったかもしれない。

 

小学生の頃を振り返ると、この「空腹」の記憶が強くある。バレないようにこっそり、台所で食べられそうなものを漁っていた自分。

 

 

母は教育熱心な人でもあった。中学生に上がると、自分は常に5教科で450点以上を取ることを求められ、志望校も偏差値の高い高校以外は認められなかった。

 

制服が格好良いとか、なんか面白そうとか、自分の興味のままに惹かれる高校名を蛍光ペンでマーキングしていると、それを見た母に

「やめてよね、そんな偏差値の低い高校ばっかマーキングするの。」

と言われた。

 

自分の中で母は、絶対だった。

どうしたら母に喜んでもらえるか、母に褒めてもらえるか。それが判断基準の全てだった。

 

音楽発表会のパート分けも、その他大勢となるピアニカ隊になるよりは、限られた人数しかいないパーカッションや、木琴を担当する方が母は喜んだ。だから音楽経験もないのに、よくわからないパーカッション隊に震えながら手を挙げて、楽譜も読めないままあやふやにキーボードを叩いた。

 

学校で裁縫セットの販売があり、デザインを選ぶ時もそうだった。みんなドラゴンやキャラクターがプリントされた、子供らしいデザインを選ぶ中、自分はピーターラビットのデザインを選んだ。

母はピーターラビットが好きだった。

小学生の自分はピーターラビットなんて好きでもなかったし、ほかのみんなと同じような子供らしいデザインが良かったが、その方が母は喜んだし、大人になっても使えると褒めてくれた。

 

 

何をすれば母に褒めてもらえるか。何をすれば母に喜んでもらえるか。

それが全てだった。

 

 

部屋を片付けなければ母は突然ヒステリックに怒り出し、自分の部屋に駆け込んでくると机の上のものを全部床に撒き散らした。

床の上に散らばったおもちゃや本や文房具、あらゆるものを拾って、母は部屋のドアのところで泣きながら立ちすくんでいる自分に投げつけてきた。あらゆるものが飛んできた。避けるとまた投げられた。

顔にも、頭にも、体にも、母が投げた自分の大切なものが当たった。本で頭を叩かれた。

片付けられないお前が悪い、これも、これも、これも、片付けられないなら全部捨てろと罵られた。

自分は自分の大切な部屋がグチャグチャにされたことが悲しくて、飛んできた物が当たり本で殴られたことが痛くて、また部屋を片付けられない自分を責めて、ただひたすらに泣いた。

 

母の言うことは絶対だった。

 

洗濯物を干すピンチハンガーでめちゃくちゃに頭を叩かれたこともある。その時なぜ怒られていたのかはもう覚えていない。

真冬、玄関の外に締め出されたこともある。裸足で、玄関のタイルに雪が積もっていた。自分はただ泣いて、泣き続けて、母に中に入れてもらえるのを待っていた。

寒くて、暗くて、悲しかった。もう家に入れてもらえないんじゃないかと思うと怖かった。

なぜ母に怒られ、そうなったのかは覚えていない。

 

こんな毎日だった。

 

だから父が、平日の朝早くに家を出るのが悲しくてたまらなかった。自分はわざわざ朝早起きして、父を見送った。行かないで欲しかったが、行かないでとは言えなかった。

玄関のタイルに、裸足で立って、父を見送った。

玄関の外の門を閉める音が聞こえると、布団に戻ってからいつも一人で泣いた。

タイルの冷たさは、今でも覚えている。

 

 

いつしか自分は、母の顔色を常に伺うようになっていた。母の機嫌を読み取り、悪くなりそう時は瞬時に察知して逃げるか、それに沿うような振る舞いをする能力を身につけた。

そうしないと生きていけなかった。

母の機嫌が悪くなれば、困るのは自分だった。

何をすれば機嫌が悪くなり、何をすれば機嫌が良くなり褒めてもらえるのか、無意識のうちに読み取った。

お小遣い制ではなかったので、友達と遊びに行く時など必要になればその都度お金をもらう必要があったが、そのような自分の要求を通したいときや、都合の悪いことを報告するときなんかは特に頭をフル回転させた。

機嫌を伺い、顔色を伺い、タイミングを窺う。

その繰り返しだった。

 

 

自分の人生の中心は、いつも母だった。

母が全てだったし、絶対だった。

18で家を出るまで、ずっとそうだったから、自分にはそういう癖がついていた。他人の機嫌を読み取り、顔色を伺う癖。

 

 

社会人になってから、その癖に苦しめられた。

上司の顔色を伺い、パートさんにどう思われているか気にした。些細なことで落ち込み、精神的に磨耗した。

加えて仕事も激務だったから、精神的に病むのは自然なことだった。

親元も離れていたので助けを求める先がなく、自分は近所のカウンセリングに通い出した。

そこで今までのこと、親との関係、母のこと、全部を話した。

自分の今の性格が親による影響を強く受けていることを、そこで初めて自覚した。

 

 

今はだいぶ、その癖を改善しようとすることもできているが、まだまだ抜けない。

何より厄介なのは、その能力が自分のいいところだとも思ってきた点だ。

他人の機嫌を読み取り、顔色を伺う癖がついていると、相手の感情を読み取り、先回りして動くことが得意になる。

これは相手を不快にさせないとか、気遣いができるとか、自分にできることは何かを考えて率先して動けるとか、そのような評価にも繋がりやすい。

それらが自分のいいところと思っていると、なかなか手放すことができない。

 

 

 

自分と親しい人の中に、おそらくは自分のような育ち方はしていないのだろうなあ、と思うような人がいる。

その人はとても堂々としている。

彼女の人生の主人公は明らかに彼女で、嫌いな人、興味のない人のことはどうでもいいと思っているらしい。

自分にはない、できない発想だったから驚いた。

自分は嫌いな人でもいつまでも気にしてしまうし、嫌いなのに同じ場にいたら話しかけたりもしてしまう。

相手にどう思われるか気になるから、たとえ嫌いな相手でも嫌われるのは怖いのだ。

だが彼女は違う。同じ食卓を囲んでいても、話しかけられない限り話さないし、普通にスマホを見ていたりする。

その上あの時〇〇さんがいたよね、などと言うと、そうだっけ?と返してきたりする。

 

でも別にそんな彼女のことをみんなが嫌っているかといえば、そうではない。

仮にそうだとしても、彼女なら言うだろう。嫌われるかどうか、別に気にしていない、と。

自分は呆気にとられてしまう。こいつ、ほんまに嫌いなやつのこと興味ないんやな…と。

相手からどう思われるかも、どうでもいいらしい。

 

今すぐそんな彼女のようにはなれないが、自分もその様子を見て少しずつ真似をしてみることにした。

嫌いな人とは無理して話さなくていい、という許可。

嫌いな人がいる場に無理して留まらなくていい、という許可。

Aをした方が合理的だし効率的だけど、自分は今BをしたいからBをする、という許可。

さまざまな許可を自分に下す訓練をしている。

自分の欲求に素直になること。

自分の人生の主人公を自分にするために、彼女を参考にしながら、少しずつ練習している。